「人工知能は人間を超えるか」を読んで
松尾豊さんの「人工知能は人間を超えるか」を読了。
この本では人工知能に対する正しい知識を身に着けることができた。少なくとも人工知能が進化してターミネーターのように人類を支配する日はまだ遠いことが分かった。もちろん人工知能の発展は予測できないビックバンが起こるかもしれないが、期待値を見るとそこまでではないということだ。しかし、人工知能によっ将来なくなる職種は確かにあることが分かった。本書で書かれていたのは例えば会計、税務の仕事や流通、引っ越しのようなコミュニケーションが少なくて済み、計算による職種は消えるだろうということだ。
そこで、十五年先で人工知能がビジネスに進出した段階で人間の仕事として重要なものは大きく二つに分かれるらしい。
一つは、「非常に大局的でサンプル数の少ない、難しい判断を伴う業務」で、経営者や事業の責任者のような仕事である。
一方、「人間に接するインターフェースは人間の方がいい」という理由で残る仕事もある。
これらを見ると、僕が将来的にとったほうがいい選択は企業なのではないかと思えてくる。
今の時代、20代で就職してそこでまたインプットされる時間は無駄な気がする。多分僕はそれよりもっとアウトプットをしていかなければいけない。そして常に自分で考えて行動し判断していくことで人工知能に脅かされる存在ではなくて、人工知能と共存していく存在になるのが大事だと感じた。
この本では、企業活動において人工知能は企業を取り巻く様々な環境をとらえられるようになる、「目の誕生」と書いてある。大企業には執行役員があり、会計監査委員会があり企業の監視をすることで透明性の高い企業を実現しているが、それにももう人が必要なくなるかもしれない。うーん、やはり個人で事業をするメリットはいま大きくなりつつあるのだと思う。
それでも僕は周りの目もあるから就活しなきゃとか思ってるんだからダメだよな。
個人で稼ぐということについて考える必要があるな。。。
答えをだそう
喪失感
高校の友が地元に帰ってきていたので、ともに語り合い13時間がたった。
友が去ってから俺はずっとブラウザを眺めてコンテンツを無為に唯々消化し続けている。
友といると昔に戻ったような感じがして楽しかったが帰った時の喪失感というのはつらい。
友が帰った後の今日など暇な時間を暇なまま過ごしてしまっている。
こんなこと考えている時間自体が無駄なのは分かっているんだ。どこかに向かってなくちゃ止まってしまうんだ。
ああ、しかし僕は植物になりたい。いっそどこかに根を張って呼吸だけして生きて、通り過ぎるみんなをただ眺めるような存在になりたい。うまくやっていくには僕は真面目すぎるし、無計画すぎるんだ。こんな中途半端な自分はなかったことにしてやりたいよ・・・
将来のことが分からない
親と話す
春合宿に行く
自分の軸を持たねば
最近、僕は軸を持たなければ周りにおいて行かれてしまうんじゃないかという感覚になる。僕がネガティブな気持ちになってしまう原因のほとんどがこれだと思う。
自分の中に軸があって物事を考えられる人は自分の個を持って他人とぶつかったり、自分の考え方を深められる。僕の周りの尊敬できる人はそんな人が多い。
僕の考え方の軸って何なんだろう。
先日岡山のタバロイドというお店に行ったときに自分の軸のなさを痛感した。
タバロイドの店主は僕が経済学部の学生だと知るとマイナス金利について説明してみてよと言ってきた。僕は
「マイナス金利についてはネットニュースで検索して知識があったので、経済を活性化させるために日銀が行った金融緩和政策でインフレを起こすために行うものだ」
と答えた。
でも店主が知りたいのはそんなウィキに乗ってるようなことではなくて、それに対する僕の意見だった。僕は、
「短期的には経済が発展するかもしれないが長期的には日本国債に影響され僕たちの保険料が高くなったりするので、経済が止まるかも。。。」
みたいなことを言った。
店主はそれでも不満だったようで、「
安倍政権はくそ!黒田はむりやりアベノミクスを起こしているだけだ。ただ、今まで銀行は日銀にお金を預けることでリスクの高い投機をしなくても生き延びられたが、それが不可能になったので銀行と市民の取引が対等になった点では評価する」
といった。
僕はそこで店主は意見を持っていてすごいなあと思ったが、実際は僕が平べったくしか物事をとらえていないだけだった。
店主は功利主義+弱者の救済のような観点を持ってマイナス金利を批判したが、僕はただただマイナス金利をぼーっと眺めていただけだった。
今は店主に勧められてた「アニマルスピリット」を読み進めている。ここで経済的な僕の軸がみつかるかもしれない。。。