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今日は一日とても暇だった。まだ授業も始まっていないからだ。まあ授業が始まってもあまり真面目になれる気もしないんだけどさ。とにかく今日は何の予定も入れていなかった。でも、やるべきことは実はたくさんあった。
就活のエントリーはまだ本腰を入れてできていない。合同説明会に行って何となしにエントリーした何社かを除いてまだエントリーしていない。なぜなら自分に何かできる気がしないし、就職して働きたくないから。いつかワーホリに行く予定の友達に言われた「働きたくないのに何で就活するの?」って言葉がまだ頭の中をぐるぐるしている。僕のやりたいことは何。答えのないことを自問自答し続けてしまう。
チェロの練習もするべきだった。最近腕が衰えているし、エキストラの曲もさらわないと。
何かの勉強もしないといけない気がする。みんなにおいて行かれてしまう。みんなって誰、知らないけど。
今日結局したことといえば、朝ランニングしながらチャイコフスキー交響曲5番を聞いて、かえってからはスマホをいじり、チェロパートの原稿を書いて、ネットサーフィンをし。。。これで終わり。なんてつまらないんだ。今日で人生が終わりだとしたら、なんて最悪な日だろう。
しかし、僕はおみくじで凶が出たときは思う、あとは上がるだけだって。
明日も特に予定はない。まるでニート、大体ニートな生活さ。ランニングで一日をスタートさせる案はなかなか良かったみたいだからこれは明日もやろう。
後は何しようかな。
僕がしたいことってクリエイティブなことなんだ。何か作ることなんだ。明日は何か自分の作品を作ろうと生きてみよう。大体ニートでいいから、人生最後の日だとしたら最高の日を過ごしてやる。。。
そういえば、僕が文章を書こうとしたらいつも1000字もいかない。ホント、薄っぺらい文章だ。もっと構成的な文章がかきたいんだけどなあ。。。
「人工知能は人間を超えるか」を読んで
松尾豊さんの「人工知能は人間を超えるか」を読了。
この本では人工知能に対する正しい知識を身に着けることができた。少なくとも人工知能が進化してターミネーターのように人類を支配する日はまだ遠いことが分かった。もちろん人工知能の発展は予測できないビックバンが起こるかもしれないが、期待値を見るとそこまでではないということだ。しかし、人工知能によっ将来なくなる職種は確かにあることが分かった。本書で書かれていたのは例えば会計、税務の仕事や流通、引っ越しのようなコミュニケーションが少なくて済み、計算による職種は消えるだろうということだ。
そこで、十五年先で人工知能がビジネスに進出した段階で人間の仕事として重要なものは大きく二つに分かれるらしい。
一つは、「非常に大局的でサンプル数の少ない、難しい判断を伴う業務」で、経営者や事業の責任者のような仕事である。
一方、「人間に接するインターフェースは人間の方がいい」という理由で残る仕事もある。
これらを見ると、僕が将来的にとったほうがいい選択は企業なのではないかと思えてくる。
今の時代、20代で就職してそこでまたインプットされる時間は無駄な気がする。多分僕はそれよりもっとアウトプットをしていかなければいけない。そして常に自分で考えて行動し判断していくことで人工知能に脅かされる存在ではなくて、人工知能と共存していく存在になるのが大事だと感じた。
この本では、企業活動において人工知能は企業を取り巻く様々な環境をとらえられるようになる、「目の誕生」と書いてある。大企業には執行役員があり、会計監査委員会があり企業の監視をすることで透明性の高い企業を実現しているが、それにももう人が必要なくなるかもしれない。うーん、やはり個人で事業をするメリットはいま大きくなりつつあるのだと思う。
それでも僕は周りの目もあるから就活しなきゃとか思ってるんだからダメだよな。
個人で稼ぐということについて考える必要があるな。。。
答えをだそう
喪失感
高校の友が地元に帰ってきていたので、ともに語り合い13時間がたった。
友が去ってから俺はずっとブラウザを眺めてコンテンツを無為に唯々消化し続けている。
友といると昔に戻ったような感じがして楽しかったが帰った時の喪失感というのはつらい。
友が帰った後の今日など暇な時間を暇なまま過ごしてしまっている。
こんなこと考えている時間自体が無駄なのは分かっているんだ。どこかに向かってなくちゃ止まってしまうんだ。
ああ、しかし僕は植物になりたい。いっそどこかに根を張って呼吸だけして生きて、通り過ぎるみんなをただ眺めるような存在になりたい。うまくやっていくには僕は真面目すぎるし、無計画すぎるんだ。こんな中途半端な自分はなかったことにしてやりたいよ・・・