生き恥晒せ

ネガティブでも生きる24歳

クソ資格

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どうでもいい低賃金労働の月給が五千円上がるだけの資格。受験料一万三千円の資格。こんなこと覚えたくない。しかも勉強の時間などない。仕事でヘトヘトだ。模擬試験で合格点取るといったがそんなのはドタキャンだ。こんな忙しい業務の中無理に決まってる。勝てない勝負なら行かないのだ。

だが、俺は9月(10月?)まではこの仕事を続けるときめたのだ。この資格試験は通らねばならぬ。

仕方ねえ。一日だ。この一日でお前を終わらせてやる。 それ以上の時間はお前にかちはねえ!

逆に燃える

何もかもがうまくいかない気がする。時間が足りない、なににしろ時間が足りない。

仕事、音楽、スマホいじり、資格勉強、どれにしても時間を浪費している気がする。

時間を投資して成長したいのに、どれもがただ足踏みをして泥沼にはまるような。

各方面において信用も失っている。どれもが中途半端だ。方法を変えなければ。このままでは折れてしまい、そうか死ねばいいんだと自暴自棄になるだろう。死にたくはないんだ。おれたくないんだ。

誰も俺を助けるな。俺はここからなんだ。ここで折れないのが俺なんだ。すべてをひっくり返してやる。逆に燃えてきた。今に見ていろ。

なにが好き?

好きなことを仕事にするのがやっぱいいわ。僕は集中力のコントロールが下手、つまり周りが見えない。これは会社に入って一番痛感したことだ。好きなことに注力できないので、マルチタスクではほかの人には勝てない。倉庫管理もして、自分の売り場もいじって、店舗支持を確認してパートさんの状況も考えて、今日が何月の第何週の何曜日だ、と考えながら行動するの無理。そういう分野で勝負して成長してもそれでやっと人並みって絶望的でしょ?だから今の仕事にかわる自分が好きなこと探そうって思った。このままじゃじり貧だ。

例えば僕はアフリカが好きかもしれない。大学の卒業論文はアフリカの戦後の経済成長について書いた。その歴史や文化がなんかかっこよかったからよ。毎日アフリカについてなんか書いてたら、アフリカが好きってことになるかな?

例えば、プログラミングってできたらかっこいいよな。

例えば、投資のことを知ってたらかっこいいよな。

Imagine...想像してご覧。

かっこいいことに進んでみよう。うん、俺は三流の会社は捨てるんだ。まあ、俺が仕事できないからなんだけどさ。。。逃げてんだけどさ。。。

妥協の弊害

実名とか出したら気まずいことになるので、名前は全て伏せますが、自分に響く話があったから残しておきます。

ある楽器奏者Aの楽器の扱いが楽器を大切にしているもののそれではないという話題がありました。Aはその理由を楽器が安く譲ってもらった良くない楽器だからこんな音なのさと答えていたそうです。

Bさんは僕に、人が上手くなるのに楽器は関係ない。上手になるためにはそれより頭を使って練習しなければいけない。楽器が悪いからとか、この弦はこういう性質だからとかいうのは思考停止、言い訳だ。大切なのは楽器ではなく、人なんだ。と説きました。

僕はBさんの話全てに共感できるわけではありません。パフォーマンスを向上させるためにわ楽器はとても重要な要素です。相対的にいい楽器、いい弓を持っている方が上手くなる幅は広いです。それを僕は後輩や師匠から分かりました。

一方で楽器が悪いという言い訳はその人のパフォーマンスを下げることになるという点には、僕共感しました。言い訳してこれは2流のものだからしょうがないと諦めるのは思考停止です。それに満足がいかないならば他の楽器を求めるべきだし、もしくは自分の選択に責任を持ってその楽器で納得いくまで試行錯誤を重ねるべきです。

これは妥協した当人にはなかなか気が付かないことかもしれないですね。なぜなら妥協した当人は自分のパフォーマンスの原因がまさか自分にあるとは考えていないからです。しかも、楽器がもう少しいいものだったらなと想像するのは実際行動することよりも楽です。パフォーマンスというのは上には上があるし、先輩や先生には一生追いつけないんじゃないかという気がしてそれに向かって努力するのは途方も無く大変なきがします。だから道端でいじけるのは楽です。

しかし、前を向いて少し走ってみたら自分の景色は変わります。前に進んでいけばその楽器で続けるべきか新しいものを買うべきか自ずと見えてくるんじゃ無いでしょうか。妥協という選択は、人を前に進ませる力を奪ってしまうからしてはいけないことだと思います。妥協することは他の圧力で決まってしまったことだと責任を放棄、思考を放棄する原因になってしまいます。妥協してしまったとしたら、それは自分が積極的に選んだしまったことを受け入れて、心で分かり、その上で試行錯誤を重ねることだと思います。

ここまで1人で考えていて、自分は会社選びに妥協していたと思い出しました。おれの会社は、低賃金だから、サービス違法残業だらけだから、休日違法出勤だから、しょうがないじゃんってさ。

それじゃ前に進まないんだ瀬戸大橋。3流会社であることを受け入れてそこで試行錯誤するか新しくトライするかどっちかだということだよ。

東京の友達からはこっちは就職先面白ところ沢山あるよ、お前も来いよって誘われたし、仕事では毎日自分のダメなところが分かりまくるし、まぁ両方向に少しずつ進んでみるかな。

一番幸せ

今日は一日中ユーチューブを見ていた。一日中!9時間だ!普段の8時間労働どころではない。9時間ユーチューブだ。

ここ最近は

つまらない仕事。つまらない仕事。鳥取。つまらない仕事。ユーチューブ。

客観で見ると一日中何も考えずユーチューブを見ている人間は惨めだよ。1日なんの予定もなく家からもでず、ただ引きこもっているだけ。

しかし、俺は今日1日幸せだった!何も考えずぼーっとしているのが楽しいんだ。

自分が楽しいと思うことに自由な時間が使えるのは素晴らしいことだよな。うん。

今日は充実した日だったよ。

明日から仕事かー。一日中ユーチューブを見続ける日を手に入れるために、動き始めたいね。

もう時給1000円の社員はこりごりしてきましたわ。そんなら時給なんてもっと低くてもいいから、ユーチューブ見てたいわ。

ヒカキン、とんねるず、弦楽器工房、ビバ!!

面白い動画サイコー!

つまらない仕事がなくなればもっと良い。

ユーチューブ。鳥取鳥取。ユーチューブ。鳥取

くらいの人生が楽しいでしょ。

後悔ばかり

f:id:ikke-gosh:20170710234334j:image全く自分が納得していなく、後悔していることばかり。

入った会社、買ったチェロの弓、買った車、住んでる家、恋人との関係性、店員の勧めで買ってしまった二千円のタンクトップ。

どれも自分で選択したようで結局流れに身を任せたものだ。自分で選択していればそれが間違いでも自分は納得していたように思う。

なんで選択できなかったんだろう。

どうもそういうところの粘りが僕は弱いよな。そういう選択でぐにゃぐにゃしたとき考える。

選ぶのが面倒くさい。俺以外がうるさい。それで変なことになったらもう高層ビルから飛び降りよう。それでいいや。最後は死ぬし、自殺してやるしもうええわ。

 

つまり、投げやり、もう死んでしまえってそんな気持ち。そして他人と話し合わずに勝手に諦めて逃げるんだ。

これが最悪ってやつだ。自分で選べないのが一番不幸なんだ。

外に出たいし、好きなことしたいし、今日も仕事だしああ嫌だ。

宿命を背負っているか

今日はチェロのレッスンがあった。

オケの本番が終わってから人と弾く機会は2週間ぶりだ。

本番が終わった後から練習は毎日はできなかったが、丁寧にさらっていたつもりだった。

しかし、気持ちが空虚な停滞した感じがしていた。

レッスンではその虚ろな感じが自分でくっきり分かった。自分のなかで曲を語りかけるだけのエネルギーがない。先生の顔色を伺うような気持ちになってしまい、嫌な感じ。

コンチェルトの2楽章ロ短調の感じが掴めないまま終わった。この曲に自分は共感できない。

 

ロ短調の曲、他にどんな曲があるだろう。

チャイコフスキー白鳥の湖、悲壮

ドヴォルジャークのチェロ協奏曲

バッハのミサ曲

など。

 

作曲家の吉松隆ロ短調

響きにくさが「暗い宿命」を描き出す

と表現している。

 

何かを捨てて何かを得るような決断をしたことがかつて自分にあっただろうか。自分はいつも何も捨てられずに思い切ったことができずに人生を過ごして来た気がする。

もしくは無頓着で何かを捨ててしまったことに気がついていない。

 

僕は自分に課された宿命を信じられないんだ。

引っかかった企業がブラックだと知っても就活が嫌でなんとなく入社したときもそうだった。

親にお前はプロで音楽する気があるのかと問われたときもそうだった。自分に宿命を負わせる自信がなかった。

 

自分の好きな事で生きていこうと思ったら、それは宿命を背負うことになる。他の人の人生とまるで外れるというのは恐ろしいことだから。

夢に向かって進むのはエネルギーも沢山必要だ。それはいばらの道だ。

 

いばらの道として思い出されるのは、僕の中ではダレン・シャンだ。

 

 

 

ダレン・シャンはイギリスの小説で人間の主人公ダレンが吸血鬼になる契約をして、自らの運命に翻弄される話だ。

 

ダレンにはスティーブという親友がいる。この二人は宿命づけられた関係と言える。最初はちょっとした運命の歯車の狂いで最終巻ではもう互いに逃れられない最悪の結末が待っている。

こんなにお互いのことが分かりあってるのに、分かりあってるから殺し合わなきゃいけない。

どっちかが死ななきゃいけない。

僕がお前を殺してやる。

 

小学生にしては大分ヘビーな話だったと思う。

今まで読んだ小説の中できっと一番心に残っている。この話はきっとロ短調

 

自分の人生が普通のレールから外れた狂った道のりだとしても進んでいく哀しみ、それがロ短調の響きなのかもしれない。