宿命を背負っているか
今日はチェロのレッスンがあった。
オケの本番が終わってから人と弾く機会は2週間ぶりだ。
本番が終わった後から練習は毎日はできなかったが、丁寧にさらっていたつもりだった。
しかし、気持ちが空虚な停滞した感じがしていた。
レッスンではその虚ろな感じが自分でくっきり分かった。自分のなかで曲を語りかけるだけのエネルギーがない。先生の顔色を伺うような気持ちになってしまい、嫌な感じ。
コンチェルトの2楽章ロ短調の感じが掴めないまま終わった。この曲に自分は共感できない。
ロ短調の曲、他にどんな曲があるだろう。
ドヴォルジャークのチェロ協奏曲
バッハのミサ曲
など。
響きにくさが「暗い宿命」を描き出す
と表現している。
何かを捨てて何かを得るような決断をしたことがかつて自分にあっただろうか。自分はいつも何も捨てられずに思い切ったことができずに人生を過ごして来た気がする。
もしくは無頓着で何かを捨ててしまったことに気がついていない。
僕は自分に課された宿命を信じられないんだ。
引っかかった企業がブラックだと知っても就活が嫌でなんとなく入社したときもそうだった。
親にお前はプロで音楽する気があるのかと問われたときもそうだった。自分に宿命を負わせる自信がなかった。
自分の好きな事で生きていこうと思ったら、それは宿命を背負うことになる。他の人の人生とまるで外れるというのは恐ろしいことだから。
夢に向かって進むのはエネルギーも沢山必要だ。それはいばらの道だ。
いばらの道として思い出されるのは、僕の中ではダレン・シャンだ。
ダレン・シャンはイギリスの小説で人間の主人公ダレンが吸血鬼になる契約をして、自らの運命に翻弄される話だ。
ダレンにはスティーブという親友がいる。この二人は宿命づけられた関係と言える。最初はちょっとした運命の歯車の狂いで最終巻ではもう互いに逃れられない最悪の結末が待っている。
こんなにお互いのことが分かりあってるのに、分かりあってるから殺し合わなきゃいけない。
どっちかが死ななきゃいけない。
僕がお前を殺してやる。
小学生にしては大分ヘビーな話だったと思う。
今まで読んだ小説の中できっと一番心に残っている。この話はきっとロ短調。
自分の人生が普通のレールから外れた狂った道のりだとしても進んでいく哀しみ、それがロ短調の響きなのかもしれない。