親と自分の価値観
今日親と電話した。
就職課にいく約束をしていたが忘れていた。
就活はやっぱりやる気にならない。
そう言いながら、実は介護士になろうかと最近考えていて 今地元の介護施設に見学に行く準備をして連絡を取っている。
でもどこかそれに逃げのような負い目を感じている気がしていた…
親と話していて何故自分がそう感じるか分かった。
親は就職した後は僕がもっと大きな世界に羽ばたき、グローバルに活躍することを望んでいる。
それは社会のグローバル化に伴い、日本企業が海外進出をばんばんしているこの時代に乗り遅れない方がいいのではないかという憂いがある。
これから社会人は世界の共通語である英語が必要で、会社の中でも自発的に行動して外に出て行くべきだ!!
そんな親の気持ちが分かった。
僕は本当にそんなことが自分の望みなのか分からない。
そりゃあ親の言うような野望を実際持つ若者のことはかっこいいと思うが。
そこで営業一筋らしい親に聞いてみた、
「仕事で楽しいと思うことは何?」
それはズバリ営業先の人に自分を認めてもらったときらしい。その時に彼は自分の価値を感じるらしい。
それと結婚して親として俺と妹を大学にやれるまで育てたことが誇り?らしい。
うーん、俺はそんなことに喜びは感じないかもしれない。
僕は多分仕事が成功しても、ノルマやっと達成できた。しかし、反省点ばかりだ頑張ろうという感じに兜の尾を締めるタイプだから
人に認められるっていうのはなんか俺はまだ出来てないのに勘違いされたような悔しい気持ちになるのだ。
そして子どもを大学にやることに喜びを感じるというのも訳わからん。
僕は子どもとコミュニケーションを取って、子どもがやりたいことやらせてのびのびしてる様を見ていたい。
単身赴任して偶に会うくらいで
子どものステータスに喜びを感じるのはずれてる気がする。
もちろん、親のステータス的な意味以外にもあると思うけど、
ちょっと僕とは価値観違うな。
親と話し終えて、
僕が今まで就活で悩んでたのは、親に言われた価値観が自分の価値観だと思いこんで行動していたからなのかもしれないと思った。
僕が今社会に出てしたいことは、
まず彼女と二人三脚で生活していきたいことだ。
そのために転勤などはなるべくない仕事に就きたい。今の時代インターネットがあるのだから、仕事の理由で自分の慣れた土地を離れて遠距離恋愛で生活したくない。
例え、少しお金が少なくても安定して地域密着型で生きていきたいのだ。
ちなみに今僕が感じている負い目は、介護士になるとグローバルに就活してる奴らより多分初任給が5万程開きがあり、介護士は平均年収も額面で明らかに東京より少ないことだ。
お金のない貧乏な生活が本当に俺にできるのだろうか。
今連絡を取っている介護施設にそこらへんをもっと詳しく聞きたい。
僕は本当に地方で悠々自適に暮らせるの??