後悔ばかり
全く自分が納得していなく、後悔していることばかり。
入った会社、買ったチェロの弓、買った車、住んでる家、恋人との関係性、店員の勧めで買ってしまった二千円のタンクトップ。
どれも自分で選択したようで結局流れに身を任せたものだ。自分で選択していればそれが間違いでも自分は納得していたように思う。
なんで選択できなかったんだろう。
どうもそういうところの粘りが僕は弱いよな。そういう選択でぐにゃぐにゃしたとき考える。
選ぶのが面倒くさい。俺以外がうるさい。それで変なことになったらもう高層ビルから飛び降りよう。それでいいや。最後は死ぬし、自殺してやるしもうええわ。
つまり、投げやり、もう死んでしまえってそんな気持ち。そして他人と話し合わずに勝手に諦めて逃げるんだ。
これが最悪ってやつだ。自分で選べないのが一番不幸なんだ。
外に出たいし、好きなことしたいし、今日も仕事だしああ嫌だ。
宿命を背負っているか
今日はチェロのレッスンがあった。
オケの本番が終わってから人と弾く機会は2週間ぶりだ。
本番が終わった後から練習は毎日はできなかったが、丁寧にさらっていたつもりだった。
しかし、気持ちが空虚な停滞した感じがしていた。
レッスンではその虚ろな感じが自分でくっきり分かった。自分のなかで曲を語りかけるだけのエネルギーがない。先生の顔色を伺うような気持ちになってしまい、嫌な感じ。
コンチェルトの2楽章ロ短調の感じが掴めないまま終わった。この曲に自分は共感できない。
ロ短調の曲、他にどんな曲があるだろう。
ドヴォルジャークのチェロ協奏曲
バッハのミサ曲
など。
響きにくさが「暗い宿命」を描き出す
と表現している。
何かを捨てて何かを得るような決断をしたことがかつて自分にあっただろうか。自分はいつも何も捨てられずに思い切ったことができずに人生を過ごして来た気がする。
もしくは無頓着で何かを捨ててしまったことに気がついていない。
僕は自分に課された宿命を信じられないんだ。
引っかかった企業がブラックだと知っても就活が嫌でなんとなく入社したときもそうだった。
親にお前はプロで音楽する気があるのかと問われたときもそうだった。自分に宿命を負わせる自信がなかった。
自分の好きな事で生きていこうと思ったら、それは宿命を背負うことになる。他の人の人生とまるで外れるというのは恐ろしいことだから。
夢に向かって進むのはエネルギーも沢山必要だ。それはいばらの道だ。
いばらの道として思い出されるのは、僕の中ではダレン・シャンだ。
ダレン・シャンはイギリスの小説で人間の主人公ダレンが吸血鬼になる契約をして、自らの運命に翻弄される話だ。
ダレンにはスティーブという親友がいる。この二人は宿命づけられた関係と言える。最初はちょっとした運命の歯車の狂いで最終巻ではもう互いに逃れられない最悪の結末が待っている。
こんなにお互いのことが分かりあってるのに、分かりあってるから殺し合わなきゃいけない。
どっちかが死ななきゃいけない。
僕がお前を殺してやる。
小学生にしては大分ヘビーな話だったと思う。
今まで読んだ小説の中できっと一番心に残っている。この話はきっとロ短調。
自分の人生が普通のレールから外れた狂った道のりだとしても進んでいく哀しみ、それがロ短調の響きなのかもしれない。
外に出てみる
高校3年くらいからだろうか、何もかんもやる気がなくなったというときは部屋に引きこもってあー俺はダメだダメだーとツイッターをスクロールしながら自己嫌悪に入る癖がついている。
これは暇なときほど起きる。社会人になってからは、仕事終わりに12時半ごろになってから自己嫌悪に入り、4時くらいまで親指をスマホに滑らせ続ける。昨日は、4時になっても眠くならなかった。あー、もうダメだ。今日も仕事だけどもう寝ないわ。そんな気分だ。
4時半ごろになると鳥たちの声が聞こえる。スズメのピーチクパーチクという声。あれ、4時ってもう朝なのか。
どうせもう寝られないので散歩をすることにした。外を歩くなんて社会人になってから、いや大学の間も一人ではしなかったんじゃないか。
僕は小学6年の時にここに引っ越してきてからずっと同じ場所に住んでいる。中学生の頃の通学路を散歩してみた。
実は、中学を卒業してから初めての体験だ。自転車や車で通ることは何回もあるが、この道を歩いたことは卒業してから一度もないように思う。
久しぶりに歩くなぁ。スズメが鳴いてる。
まだ4時半だっていうのにもうこんなに明るいんだなぁ。早起きしたみたいで気持ちいい。
通学路の道を進むと思い出がたくさん落ちていた。ソフトテニス部の友達と待ち合わせした場所。遅刻直前の時に緊急で集まる場所。2万円を拾って大騒ぎした場所。後輩にボコボコにされた場所。ゲリラ豪雨でセーラー服がスケスケになったのを凝視してた場所。ヤンキーがセックスしてたトイレ。道路脇で死んでたスズメを埋めた荒地は一軒家になっていた。
50mおきにそこのエピソードが溢れてくる。
所々新しい建物が建ったり、建物が潰れたりしてるけど、ほとんど中学の頃と変わらない景色だった。懐かしいな、楽しいな。
帰り道に思う。俺って後悔するような人生は歩いてないよ。過去の一瞬一瞬は楽しくて欲求不満でぶっ飛んでた。将来やりたいことないなんて中学校のときから変わってないし、今は今で結構楽しいよ。
俺の人生、そんな自己嫌悪に陥ることないよな。外を歩いたら分かったよ。
部屋に帰ったら鳥の鳴き声がスズメからカラスに変わっといた。今日は燃えるゴミの日だからなー。
3時間だけ寝た。
井の中の蛙
昨日、今日はオーケストラ関係のイベントがあった。
昨日は岡山大学オーケストラでOBとして、今日は香川大学オーケストラでエキストラとして本番と練習に参加した。
オーケストラで弾くのはやはり楽しい。周りの奏者と一緒に音楽を前に進ませる喜びは1人では得られない。社会人になって人と弾く機会がほとんどなくなってしまったからこの2日は貴重な時間だった。
岡山大学も香川大学も居心地がとてもいい。自分が伸び伸びとして弾けるのがいい。
しかし、僕は自分が居心地良いと感じている一方で、これではいけないという気持ちがあると分かった。
この居心地の良さは嘘。仮初めだ。
本当は俺の音楽はまだ発展途上で下手くそ。まだもっと上がある。スタート地点にも立っていない門前小僧である。
そんな自分が大海を知らずに井戸の中で居心地良く弾いている。
この居心地の良さの正体は井の中の蛙なのだ。
自分の音楽をもっと前に進ませなければいけない。自分が安心できる人とばかり音楽をやっていてはいけない。もっとその先が見たいが為に俺はきっと音楽をまだやっているんだ。
陰の小池でチャプチャプ遊ぶように音楽をするおっさんおばさんがここらには沢山いる。
仕事が忙しくて自分は下手になっていきつつ誤魔化し方だけ上手くなってそれで参加してるんだ。そんで誰にも注意もされず、お互い久しぶりーなんて言って飲んで終わり。
俺はそんなおっさんになりたくてまだ楽器を続けてるわけじゃない。そんなの嫌だ。
じゃあ、俺はどんな道を進みたいんだろう?
答えは明らかなようでまだ定まらない。。。
ただ練習を重ねて続けよう。
俺めちゃくちゃ仕事できない
参ったなぁ、仕事するの下手やなぁ。
まず、何事も特に考えずにすぐ行動したいしまうのが良くない。
10秒立ち止まれば2分くらい短縮できる方法を考えるのを忘れてしまう。
在庫の確認をパソコンですればいいのに売り場にババーって走っちゃう。
箱をたくさん持ってきて一気に詰めれば早いのに一個一個箱を持ってきてしまう。
そして、他人への配慮が足りない。
仕事を区切りの悪いところで人に渡してしまう。
連絡しても相手に情報が伝わらない。
仕事できへんやん。
まぁ気をつけるしかないよな。
頭より体が動いちゃうのが良くないねえ。
俺は今何をしているのか
最近家に帰ったら帰らなかったりしている。家のご飯を食べたり食べなかったりしていたので親と言い争いになった。
お前は彼女んとこに泊まってフラフラして何がしたいんだ!と言われた。
その時僕は「自分の幸せの形探しとるんじゃ!」と言った。
言いながら、だせえと思いながらもそうなのかもしれないと分かった。
僕は何か踏み出す勇気がなくて逃げの就職をした訳だが、そこで何が幸せかを今探しているんだ。
とりあえずチェロと友達と彼女と筋トレと仕事とを往復して、何か探しているんだ。
探して探して自分の光を見つけるんだ。最近は仕事の中で光のかけらを見つけることもある。
どの場面での出来事が何につながるかは分からない。明日からも探して生きよう。落合さんの言う研究にこれがつながるようにしたい。
お母さん今度からは帰れない日は早めに伝えます、ごめんなさい。🙏
岡山の在留外国人
今日、店舗で接客したお客様の中でベトナム人の方が2人いた。
日本語が片言より少し話せないくらいで、意味が通じなくて申し訳なかった。僕がもっと簡単な日本語で話せたらもっとコミュニケーションできて、いい商品を紹介できたのかもしれない。
店舗に来るお客様の中で自分が接客する外国人は1日に大体2組という印象だ。1日の来店客数が大体800人で、僕が接客している時間(レジも含めて)5時間くらいで店営業時間が14時間とすると、
1日に外国人は5.6人で
お客様の100人に7人が外国人なのかもしれない。
この中でもベトナム人は多い印象がある。レジで聞いたところこの辺りに住むベトナム人は多いらしい。
一方で県のデータを見てみよう。
平成28年度のデータでは、在留外国人の中でベトナム人の人口は3番目に多い。
http://www.pref.okayama.jp/uploaded/life/514515_3905386_misc.pdf
1.中国人 8178人
2.韓国人 5434人
3.ベトナム人 4237人
一県に住んでいるベトナム人の数としては多い方なのかもしれない。
都道府県別統計とランキングで見る県民性というサイトでは、平成27年度時点で
僕がこの店舗に勤めていて思うのは外国人に対する配慮が足りないのではないか?ということだ。 他の会社では在留外国人に対してどのように接しているのだろうか。とても気になる。
在留外国人の数は県人口の1.3%にも登るので、これは田舎だからといって無視できない、ビジネスチャンスではないか!?
中国人、韓国人、ベトナム人を相手に商売をするなら3ヶ国語が話せないといけないと思うかもしれないが、それはもしかすると翻訳機能でどうにかなるかもしれない。
落合陽一は本でこれから重要なのは外国語を操る技術ではなく、外国語に翻訳しやすいロジカルな言葉を操る技術だと書いていた。
これは他の誰も目をつけていないとすれば、インターネットの力でできるちょっとした革命を起こせるかも。