生き恥晒せ

ネガティブでも生きる24歳

僕が尊敬する人は保科洋先生

今日は頭の中がぐるぐるしてしょうがない。文にして整理しておきたいことが出てきては消えを繰り返し寝付くこともできず、集中もできない。

その中でも保科洋先生のことは書きたくてたまらない。

保科洋は日本の作曲家、指揮者である。

作曲では吹奏楽の世界で有名であり、代表作は「風紋」が有名で、この曲は1987年の第37回吹奏楽コンクールに委属され今日でも吹奏楽団で頻繁に演奏されている。

また、『週刊少年ジャンプ』(集英社)2013年24号 - 2014年31号で連載された吹奏楽をテーマにした音楽漫画である『SOUL CATCHER(S)』の中で主人公たちが演奏したことからも日本の吹奏楽界でかけがえのないであることがうかがえる。


風紋(原典版)

保科洋は指揮者としても活動していて、その活躍の場は幅広いが最も彼と関わりが長くそして深い団体は岡山大学交響楽団であろう。

彼は1966年より岡山大学交響楽団の常任指揮者を務め、2016年現在でも棒をとっている。

 

僕はこの楽団員の一人であり、今年度のチェロパートのトップとして、幸運にも先生の近くで音楽をさせていただく機会を多く持っている。

僕は3年と半年ほど先生のもとで演奏をしている。

先生のもつ音楽理論や感性に毎回発見と感動の連続であり、僕はたかが一団員なので直接話す機会は多くないものの、一方的に信じているし尊敬している。

 

実は僕は先生の教えを受けている割に、音楽理論は門前小僧並みのスキルしか持たず、面倒なことを考えず音楽の中の感情のコミュニケーションを楽しむばかりであまり音楽家としての素養はない。

だから、先生の音楽性や功績のすばらしさはよく分からない。

 

そんな僕に語れる先生のすばらしさは人間性になってくるのだが、

先生の尊敬できる点はふたつある。

少なくてなんかごめん

 

  • 努力し続けて、納得するまで徹底するところ
  • 人をおぼえていること

 

まず前者について。

僕は先生のもとで演奏していて泣きそうになることがある。

それは先生がどんな小さいパッセージの小さな役割の音楽でも決してあきらめず、同じようなことを言い方や語気を変えて僕らに成長を要求することをあきらめてくれないことだ。

そのために、僕たちはサマープログラムの様々なパーツを死ぬほど練習した。

自信をもって弾けるパッセージは数千回練習した自負がある。

それでも先生は満足せず、百回以上同じ要求をするのである。

 

普通に考えたら、上司に同じことを百回も命じられたらうんざりしてバカにするなと逆上するだろう。

しかし先生のすごいところは、毎回それを言われたときにガーンと心に刺さってくるのだ。これは普通に生きてたら体験しないことかもしれない。

先生の指示は毎回本気の大真面目で必死で気持ちがこもっているのだ。

 

これは音楽の観点からも凄まじいことである。

音楽とは、音で相手に何かを伝えようとすることだと僕は思うのだが、

音楽の中で相手に伝えようとしたとき、僕たちは何度も繰り返し伝えるという手法をとるのだ。

よ―知らんけどJPOPだったら、サビが三回くらいあるし、冒頭でそれをまず流すことが多いと思うし、

クラシックでは短い音型を何度も伝える。

ベートーヴェンの運命では「ジャジャジャジャーン」を何回も何回も伝え続けるし、

マーラーの巨人では「カッコー」というたった2音のフレーズを200回以上繰り返すのだ。

これはもう正気の沙汰ではない。

 

つまり何が言いたいかというと、先生は指揮台でずっと音楽をしているのだ。

先生の言葉や指示は僕たちが普段話すそれとは違うのだ。

彼の言葉は音楽だからと考えないと、僕らがなぜ何度も先生に学び、挑み続けるのか説明しようがない。

 

そして、先生の凄まじさはそれを1966年から50年は続けていることである。

そして先生は今(2016年現在)80才なのである。

もうこれは常人の想像の範疇を超えている。

先生は50年間岡山大学交響楽団に向き合い、音楽をし続け、繰り返し続けて、そしてそれは未だ道半ばなのである。

 

このことは僕に勇気を与えてくれる。

努力し続ける。それが実らないとしてもやり続ける。

それは絶対に自分を高め、周りに素晴らしい影響を与えるのだ。

 

 

次に後者について書きたい。

てかもう後者忘れたよね、俺もや (笑)

コピペしなおすね

 

  • 人をおぼえていること

僕が初めて先生と話したのは大学1回生の5月である。

その時先輩に、

「この子が新しく乗る1回生の瀬戸大橋です。」

と紹介され、先生は笑顔で

「おう、よろしく」

とおっしゃり、僕はのそっと頭を下げた気がする。

その次に話したのは1回生の飲み会で酔ったときで、その時は先生がほかの人と話してる最中に割り込んだ。 うーん、あれは失礼だった。

 

つぎは、3回生のときジュニオケで急に名前を呼ばれた。

「おい、せと」と。

僕はその時正直驚いた。こんな常時120名を超える団員の中で僕のことをおぼえているものなのか、と。

しかも、後輩の話では、

「せとは、初心者のわりにがんばってるな」

と話していたそうだ。

まー、僕は高校から始めたのだが、先生は一団員の上達具合まで察しておられるのだ。

 

これは僕だけにとどまらない。

先生はすべての曲の主要メンツの名前は必ず覚えるし、4回生の名前は必ず覚えるのだ。

そしてそれはOBの人たちでも変わらない。

さらに言うと岡山大学交響楽団は何年かおきに京都大学交響楽団と共演するが、その共演者の名前もそのエピソードとともにすらすら出てくるのだ。(京都大学交響楽団学生指揮者談)

 

この話は記憶力がいいというだけで片付けられるものではないと思う。

先生は自分と関わりのあった人たち全てへの信頼や愛が深いのだ。

人間として、僕もそうありたいしそうあり続けることでここまで素晴らしい80才になれるということを信者られるようになったから、岡山大学交響楽団に所属できて僕は幸せだったと思う。

 

長々と繰り返し繰り返しをしたけれど、僕の伝えたいことはひとつ。

僕が尊敬する人は保科洋先生。

 

参考:

風紋 (吹奏楽曲) - Wikipedia

全日本吹奏楽コンクール - Wikipedia

保科洋 - Wikipedia

SOUL CATCHER(S) - Wikipedia

wikiばかりで根拠として薄くて申し訳ない。。。

仕事研究セミナーに参加して

今日は、岡山の地元で内定を頂いたZ社で研修を受けた。

同じ新卒で入ってくる同期たちは、あまりパッとしなかった。僕の隣に座ってたひとはちょっとタイプだったけど。

岡山なのか日本人の特性なのか知らないけど、
ワークをする場で自分が人見知りであるように振舞って無口でいるひとが嫌いだ。

こういうのはお互いコミュニケーションちゃんと取れる段階に早く発展してそこからディスカッションしないといいものは生まれないのに、なんでそれに参加しようとしないわけ?

アイスブレーキングを俺が突然始めたら良かったのかな?最初は面倒だった。

商品棚作りの仕事体験はなかなか面白かった。客からするとあまり意識してなかったけれど、店にある棚やその配置にはそれぞれ意味があって
それを作るっことはクリエイティブなことだと分かった。

店はメディアであり表現であるということだ。
小売の現場というのは、単純作業で待つ仕事だというのではないことが僕には意外で楽しかった。

研究会が終わった後、自分の現状を相談した。小売業はつらいのか、ということだ。
僕は今父にザグザグに入ることを反対されている。話し合いの末、お前がそれでいいならもういいよという感じにはなったのだが
自分のモヤモヤを整理したかった。

Z社は今後生き残れるのか?
小売業は、ドラッグストアは今後どうなっていくのか?

人事の方は丁寧に答えてくれた。
業界と会社の今後の話はまだ自分の中でまとめられないからまた別で書きたいが、

人事の方から伝わってきたのは、
俺はこの仕事が好きで納得して働いていて、幸せだよ。
俺の会社は成長の余地がまだあるし、地元の支えになれるからそのために今課題に取り組んでいる。
俺は小売業が好きだ。

という気持ちでした。
多分あの場にいた社員の方はみんな幸せでそれでいて課題にも取り組んでいるんだろう。

くそぅ、それで俺が思ったのは俺も好きなこと職業にしたいって気持ちだった。
俺はチェロ好きなんだもん。出来ればそれを職業にしたいよって。
そこを諦めて入社するということが自分の中では引っかかっているんだろうと思った。

答えは出ない、出てるかも知れないが怖い。
自分を納得させるためにまだ深く考えたい。

オーケストラの飲み会の目的

オーケストラの飲み会の目的というのは何かと思う。
人と人が仲良く交わり酔って楽しむのは楽しいことでそういうスポーツとかセックスみたいな何も考えなくていい楽しさはあると思う。
オーケストラの飲み会は割とそれが目的な気がして、それが思い出になって後日それを笑い話にすることを楽しみにしている。
今までの自分は周りの人の影響によってそれを目的になってしまっていた。
しかし、それは自分の成長に特に繋がらないと思う。 そういう楽しみ方は周りと関わっているようでただ自分が楽しくなっちゃってるだけのオナニーだな。

オナニーはもう飽きた、それ以上のパフォーマンスを目指したい。

飲み会にはもっと個人的でレベルの高い目的が必要だ。
それは、自分の尊敬する人と話しやすくなることだ。
普段、僕らは口を閉ざして楽器という道具を使って表現しているだけに、音楽活動を口での表現することは多少不慣れだ。
それに尊敬する人と一緒に音楽はしているのだけど、その人と軽く話せるかというとそれは違う。緊張してしまう。
だから、ちょい酔ってお互いの距離が近くなった方がその人たちと音楽しているときと同じくらいの距離感で話せるからいいのだ。

結局飲み会の後は自分が興味持った人としか音楽しないし
これからは自分がこの人から学びたいという目的で飲むように心がけよう。
そのためには自分が魅力的であることは示すことは大切だけど、騒いでよい狂うようなことは必要ないし効率悪い。
それよりちょい酔いくらいで自分の熱意を強く伝える方がいいと思った。

それが昨日の飲み会の場でできなかったのは最悪だな。反省。

京大オケと弾いて感じた差

京大さんと自分たちの違いってやっぱ主体性だと思う。
技術は確かに差があるけど、それ以前の問題。自分は多分技術は京大さんには叶わないけど、発信力は負けてないと思うし対等な関係で音楽できている感じがする。
でも、チェロの他のみんなは負けちゃってびびってる気がする。気がするだから、なんともいえんが恐らくそう。
だから、今後の僕の目標はみんなに主体性をもって音楽してもらうことだ。
今まではここをこう歌ってほしいというように答えをすぐ出してしまっていたけど、
今後は答えのヒントを渡すようなことをしたい。
それと似たようなことで、自分で曲解釈することが出来るようになればいいの良いと思う。
それは俺もまだ浅はかだとマイスターで思い知った。 巨人は深く読めばどこまでも解釈できる曲だと思うから、それぞれがこの曲のことをもっと理解できたらいいと思う。
3チームくらいに分かれて解釈ディベートみたいなことしたい。。。
自分の中に表現したいものができれば、それがチェロを弾くという単調な動きの中にもそれが見えてくるかなと思う。
俺たちには伸びしろばかりあるね!

音楽で生きていく相談をした そのアンサー

音楽で生きていくにはどうしたらいいんだー!

と思って、チェロを習う先生にラインしたらめっちゃ丁寧な返信が来た。

 

その返信は俺だけのものだからネットなんかには載せないけど、その返信への俺のアンサーは載せようと思った。

 

今の俺は中途半端だと思う、でもそれを受け入れてそこから変わっていくしかねーじゃんさ。

 

 

丁寧な返信ありがとうございます。

音楽で食べていくのは難しいことだと周りの人から聞きますし、プロの方を見ていても感じます。

一方でプロにならなくてもアマチュアとして活動すればいいとも考えましたが、このまま就職をして新卒で会社で働いていけば、
きっと音楽から遠ざかっていくのだとも実際働いている周りを見ていて感じています。

このまま中途半端な気持ちで就職してしまうよりも、好きなことで生きていくチャレンジをしたいと考えています。


周りを見ていて自分の軸がブレてふらふらしている今の僕は今中途半端です。
先生へのラインも唐突ですみませんでした。

でも先生の文章で自分が周りに根性を示すことが自分を本気にさせる方法だとわかりました。
次のレッスンのときにまたお話しを伺いたいです。

長文失礼いたしました。

わかんないなら動くしかない

自分の気持ちなど分からない。
自分がどうありたいか、したいかが分からない。
あるのは薄っぺらい欲望ばかり
チェロを弾き続けたいのか、
彼女と一緒に暮らしたいのか、
お金をたくさん持っていたいのか、

なんで、こんなことになったのか。
意識高い系の人事部は
小売業の仕組みを変えていきたいとか語ってたな
そんなことが大真面目に言える人が信じられない。
俺は自分のことで精一杯だ。
周りに幸せを届けたいって考えて生きれたら幸せなんだろう。
じゃあニトリには入ったら幸せなのかい?
それはまた違う話。やってみなきゃ合う合わないあるじゃん。
ま、自分がやりたい方面それぞれに向かって行動していくしかないじゃん。

親と自分の価値観

今日親と電話した。

就職課にいく約束をしていたが忘れていた。

就活はやっぱりやる気にならない。

 

そう言いながら、実は介護士になろうかと最近考えていて 今地元の介護施設に見学に行く準備をして連絡を取っている。

でもどこかそれに逃げのような負い目を感じている気がしていた…

 

親と話していて何故自分がそう感じるか分かった。

親は就職した後は僕がもっと大きな世界に羽ばたき、グローバルに活躍することを望んでいる。

それは社会のグローバル化に伴い、日本企業が海外進出をばんばんしているこの時代に乗り遅れない方がいいのではないかという憂いがある。

これから社会人は世界の共通語である英語が必要で、会社の中でも自発的に行動して外に出て行くべきだ!!

そんな親の気持ちが分かった。

 

僕は本当にそんなことが自分の望みなのか分からない。

そりゃあ親の言うような野望を実際持つ若者のことはかっこいいと思うが。

そこで営業一筋らしい親に聞いてみた、

「仕事で楽しいと思うことは何?」

それはズバリ営業先の人に自分を認めてもらったときらしい。その時に彼は自分の価値を感じるらしい。

それと結婚して親として俺と妹を大学にやれるまで育てたことが誇り?らしい。

 

うーん、俺はそんなことに喜びは感じないかもしれない。

僕は多分仕事が成功しても、ノルマやっと達成できた。しかし、反省点ばかりだ頑張ろうという感じに兜の尾を締めるタイプだから

人に認められるっていうのはなんか俺はまだ出来てないのに勘違いされたような悔しい気持ちになるのだ。

 

そして子どもを大学にやることに喜びを感じるというのも訳わからん。

僕は子どもとコミュニケーションを取って、子どもがやりたいことやらせてのびのびしてる様を見ていたい。

単身赴任して偶に会うくらいで

子どものステータスに喜びを感じるのはずれてる気がする。

もちろん、親のステータス的な意味以外にもあると思うけど、

ちょっと僕とは価値観違うな。

 

親と話し終えて、

僕が今まで就活で悩んでたのは、親に言われた価値観が自分の価値観だと思いこんで行動していたからなのかもしれないと思った。

 

僕が今社会に出てしたいことは、

まず彼女と二人三脚で生活していきたいことだ。

そのために転勤などはなるべくない仕事に就きたい。今の時代インターネットがあるのだから、仕事の理由で自分の慣れた土地を離れて遠距離恋愛で生活したくない。

例え、少しお金が少なくても安定して地域密着型で生きていきたいのだ。

 

ちなみに今僕が感じている負い目は、介護士になるとグローバルに就活してる奴らより多分初任給が5万程開きがあり、介護士は平均年収も額面で明らかに東京より少ないことだ。

お金のない貧乏な生活が本当に俺にできるのだろうか。

今連絡を取っている介護施設にそこらへんをもっと詳しく聞きたい。

僕は本当に地方で悠々自適に暮らせるの??